今回カナダに行ったが、至る所でネットのありがたさを感じた。そこで、私が大学1年の時(約20年前)にギリシャに約1ゕ月行った時との比較において、ネットのありがたさを再検証してみる。
1,Googleマップ
そもそもギリシャに行った目的は歴史的建造物の保存のボランティアであったが、現場はアテネ空港から遠く離れた名もない小さな町だったので、行くのが大変だった。それにもかかわらず、集合場所の指定がものすごいざっくりで、かつ、地図もざっくりしたものがあっただけだったので、バスが小さな町に入っていく度にとても不安になった。結局、3時間くらい遅れて集合場所に到着したが、ちゃんと到達できたこと自体奇跡だと感じた。
他方、いまだとGoogleマップ先生がリアルタイムで居場所を教えてくれるので、目的地への行き方に困ることはまずない。
海外で道に迷った時の不便を考えると、これだけでも隔世の感がある。
2,Google
当時も一応ネットはあったけど、当時の海外の主な情報源と言えば『地球の歩き方』だった。もちろん、私も『地球の歩き方」を持って行った。
もっとも、『地球の歩き方』に載っている情報は編集者の主観によるところが大きいし、古かったりした。また、本を持参すること自体荷物だった。
他方、今は本を持ち歩く必要はない。Google先生でちょっと調べれば、イタリアンの美味しい店から日本食マーケットの場所まで、ありとあらゆる情報が簡単に手に入る。また、インスタを使えば、より新鮮でリアルな情報が手に入る。
海外で不安になる原因の一つは情報不足である。しかし、いまは情報不足が問題となることはほぼない。この変化も大きい。ただその分、海外におけるドキドキ感が減った可能性は否定できないが。
3,LINE
ギリシャにいた際の日本とのやり取りの手段は、手紙か国際電話であった。書いてて悲しくなるほど、前時代的であった。ちなみに、私がそれらを使ってやり取りをしたのは家族とのみであった。友人とは一切やり取りをしていない。その家族との国際電話においても、300円くらい入れてもカウンターの減りがめっちゃ速くて、元気だよバイバイくらいしか言えなかったのを覚えている。
他方、今はLINEやMessengerでいくらでも日本の友達と電話やチャットができる。ビデオ通話もできる。しかも無料である。恐ろしい進歩である。また、Facebook等のSNSでも友達と繋がれる。よって、海外に居ても一人であると感じることはなかった。
ホテルにいた際のルームメイトはネパール出身だったが、彼は妻とともに小さい子を母国に残していたので毎日ビデオ通話しては、家族に対しバブ~と言っていた。チャットやビデオ通話の存在が海外への出稼ぎの敷居を下げているようにさえ感じた。
4,YOUTUBE、ネトフリ
海外にいると暇な時間が結構ある。なので、暇つぶしの手段は重要である。ギリシャにいた時はネットもないので、よくみんなで散歩した。とにかくいっぱい歩いた。その他はみんなでシエスタ(昼寝)をした。ある意味とても健康的だった。
他方、今はYOUTUBE、ネトフリやSNSがあるから、海外にいても暇な時間を見つける方が難しい。いくらでもエンジョイできてしまう。ただし、これだと日本で過ごしているのとあんま変わんないじゃん、というツッコミが時折浮かんでくるけど。
5,英語の勉強
ギリシャでは、ネットがなかったので自分で持って行った素材以外に新たな勉強の素材を手に入れることは難しかった。よって、現地での英語の勉強法は、もっぱらアウトプットであった。つまり、持っている知識をフル動員して頑張って喋る、であった。しかし、これだとある程度インプットができている人はいいが、インプットが足りない人は厳しかった。
他方、今だとネトフリでもYOUTUBEでもインスタでも、英語の素材に事欠くことはない。むしろ、多すぎるくらいの情報量がある。また、ChatGDPが英作文の添削もしてくれるし、話し足りなければオンライン英会話もできる。よって、やる気さえあればいくらでも英語を伸ばせる環境にある(これは日本にいても同様だけど)。
海外では英語がコミュニケーション手段なので、この変化も有り難い。
6,まとめ
以上のとおり今はとても便利になった。それにしても、手紙のくだりなど書いてて私も歳を取ったなと、しみじみ感じた。時代の変化は恐ろしい。
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