生きる意味がないということは、どういうことだろうか。
それならばいっそ、〇〇〇方がいいのだろうか。
しかし、生きる意味がないということは石ころとか鳥とか他の生物等との対比において導かれる結論なのだから(昨日の記事参照)、少なくとも生き続けなければならない。
そこで、どう生き続けるかが問題になるが、どうせ生きなければならないなら、好きに生きるのがいい。
暇つぶしは通常、好きなことをするものだ。
生きる意味はないということは「あるべき形が決まっていない」ということだから、自分の生きる意味をいくらでも「自分で好きに意義付けしてよい」ということだと思う。
ってことで、生きる意味がないということをネガティブに捉える必要はない。自分で決めていいんだとポジティブに捉えるのがよいと思う。
では、私はどう意義付けるか。
ズバリ、脳と身体を鍛えること。
勉強が好きだし、生物として生きなければならない以上、脳と身体を鍛えて強くなりたいからである。ストイック過ぎる気もするが、自分がやりたいことだから仕方ない。
参考にした中野氏の動画↓

【中野信子先生】 人生の意味は、自分で「どう意味付けするか」を任意に決めていい この教えで楽になりました #shorts #中野信子#脳科学#脳科学者#人生の意味#人生
人生の意味は?という哲学的な今回のお話生物である私たち人間も「生存する」「生き残っていく」というベースが大前提でその上にあるボーナスポイントみたいなものが「人生の意味」従って、その意味は自分自身で自由に意味付けして楽しんでいけばいいという説に共感しました✨
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